江戸時代の貿易に由来する
「長崎大の熱帯医学研究」
日本脳炎ウイルス
熱帯病や新興感染症に関する長崎大学の研究の拠点となっているのが、医学部内にある「熱帯医学研究所」です。日本で唯一の熱帯医学に特化した研究施設がなぜ長崎にあるのか。それは長崎がたどってきた歴史に理由があります。
17~19世紀に渡って続いた江戸時代、幕府は対外貿易を禁ずる鎖国政策をとっていました。しかしその時代でも、例外的にオランダとの貿易が認められていたのが長崎です。貿易の窓口である長崎の出島に持ち込まれる西洋のさまざまな科学や文化の中でも、特に日本人の健康に大きな影響を与えたのが「西洋医学」でした。
長崎大学熱帯医学研究所
1857年、幕府は長崎奉行所に「医学伝習所」を設立。オランダ軍医による西洋医学の講義を行うとともに、最初の研究テーマとして感染症を位置付けました。当時の日本は欧米に比べて立ち遅れた開発途上国的存在で、途上国で死亡原因の多くを占める感染症による被害に悩まされていたためです。日本で最も早く西洋医学が伝えられた長崎での感染症研究は発展を続け、1942年には専門の研究施設「東亜風土病研究所」(その後「風土病研究所」に改称)が設立されるに至りました。
世界保健機関協力センター
(長崎大学熱帯医学研究所)
戦後の経済発展で日本の衛生環境が飛躍的に改善し、国内での感染症被害が大幅に減少した1950年代、風土病研究所は「役目を終えた」として廃止に向けた動きが始まりました。しかし感染症による問題は日本国内では解消しても、熱帯地域に集中する途上国では依然猛威を振るっており、現地の人々の生活を脅かしています。そこで国内で培った研究成果やノウハウをそうした地域にも展開し、地球規模の問題となりつつある感染症に立ち向かうことを目指して、現在の「熱帯医学研究所」に改称しました。
その後長崎大学は、熱帯医学研究所に加えて医歯薬学総合研究科・新興感染症病態制御学系専攻を中心に、熱帯病や新興感染症の教育・研究を拡充。国際的な連携も強化してきました。2003年には21世紀COEプログラム「熱帯病・新興感染症の地球規模制御戦略拠点(2003?2007年)」、2008年にはグローバルCOEプログラム「熱帯病新興感染症の地球規模統合制御戦略(2008?2012年)」に相次いで採択され、感染症の克服と共に若手研究者の育成に尽力を注いできました。2005年には本学スタッフが長期間常駐する海外感染症研究拠点をベトナムとケニアに創設し、地道なフィールドワークや臨床研究に力を注いでいます。また同年、熱帯医学研究所が国際保健機関(WHO)の研究協力センターにも指定され、長崎大学は、今なお感染症において世界規模で大きな役割を担い、最先端の研究が進められています。
今回、2012年に採択された長崎大学の「熱帯病・新興感染症制御グローバルリーダー育成プログラム」は、長崎の歴史的な背景とその後の国際的な活動実績の上に成り立っているものです。